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- 庄村(近世)とは
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![]() | 庄村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 庄村(近世) 江戸期~明治7年の村名蒲生【がもう】郡のうち村名の由来は,中世に当地周辺を杉杣【すぎそまの】荘と称し,その中心的集落であったことによるといい,また当時は佐久良【さくら】川の北岸を乾【いぬい】村(稲村【いなむら】とも)といい,南岸を庄村といっていたが,乾村を合併したという(蒲生旧跡考・井上文書など)江戸初期寛文7年まで旗本湫間氏の知行地湫間氏は,慶長7年検地の567石余を790石余で貢納させたため,関係領村が幕府へ暴政として訴えて改易されている以来旗本佐野氏,天和元年志摩鳥羽【とば】藩土井氏になり,元禄4年土井氏に代わって松平氏が鳥羽へ入部したため松平氏領となり,さらに寛延2年丹後宮津藩へ松平氏が国替えになって宮津藩の領となり,幕末に至る村高は寛永11年567石余(寛永高帳),元禄14年790石余(元禄郷帳)で,幕末まで続いた当村には宮座があり佐々木座(3氏)・本村座(7氏)・真村座(4氏)がそれぞれの座に応じた民俗行事を伝承してきた井上家と会議所に文書を残している明治5年滋賀県に所属同7年,蒲生郡内に庄村(現竜王町)があるところから,杣村と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 庄村(近世) 江戸期~明治9年の村名播磨国神東郡のうち八千種荘に属した市川中流左岸,河岸段丘上を南流する平田川の低湿地から東の山麓にかけて位置する地名の由来は,九条家領荘園蔭山荘の北端に当たるところから荘園経営にちなむと思われるもと豊臣氏蔵入地慶長5年からは姫路藩領村高は,「正保郷帳」1,081石余うち田947石余・畑134石余,寛延年間1,127石余(神崎郡誌),「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,162石余神東・神西郡を通じて第一の大村江戸前期に当村から小倉村が分村する年貢は天保14年で本田3ツ8分・新田1ツ2分~2ツ3分3厘,計324石余(庄区長文書)村の西に広がる西光寺野は天保年間以降開墾が奨励され,八反田村からも入作があり開拓したが,中には地味が悪く放置した者もあり,慶応4年そのような土地は薪取りの入会地として元に戻してほしいと訴えている(同前)神社は地神社寺院は浄土真宗本願寺派流情山円照寺・天台宗宝生山常住寺明治6年鍛冶屋・小倉両村とともに常住寺に荘敬小学校設立同9年八千種村の一部となる... |
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