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- 杉園村(近世)とは
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杉園村(近世) 江戸期~明治8年の村名葦北郡のうち佐敷川の上流大野川の最上流,国見山北麓に位置し,渓谷に耕地と集落が立地する熊本藩領村高は「旧高旧領」39石余寛永16年の芦北郡地侍御知行割帳(徳富家文書)に,当村の地侍草ケ部七の丞・草ケ部弥左衛門・緒方作左衛門の名が見える手永は,はじめ大野手永,寛文13年から湯浦手永に属した「肥後国誌」でも湯浦手永に属し,高33石余なお延宝3年の芦北郡湯浦手永小村限御帳(岩崎家文書/芦北町誌)によれば,御郡筒・百姓とも人数30,竈数4,馬2明治3年の佐敷郷御通筋御手鑑帳(芦北町立図書館蔵文書)では,戸数34・人数176,郷士3人,牛馬40熊本県,八代【やつしろ】県を経て,明治6年白川県に所属同8年国見村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」