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- 太郎丸名(中世)とは
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太郎丸名(中世) 戦国期に見える名【みよう】の名豊後国国東【くにさき】郡安岐【あき】郷のうち国東半島東部,現在の東国東郡安岐町のうちと思われるが比定地末詳太郎丸ともある天文16年11月の宇佐宮神領安岐郷定使給方坪付と貼り合わされ連券をなすが,紙質・筆跡を異にする宇佐宮神領安岐郷坪付に,「一所太郎丸かいめん一段」と見えるのが初見(到津文書/県史料24)天正8年4月12日,田原家の名跡を継いだ大友宗麟の二男親家は,入郷以来の忠貞を賞し,萱嶋美濃守宏次に太郎丸名10貫分を預けたそれに関して翌天正9年4月,木田宏籌・萱嶋頼直が連署打渡状を発給しているが,この史料には太郎丸10貫分としている同年5月23日には田原家の重臣6名が連署し,本領太郎丸名の安堵を賀している終見は天正9年10月18日,萱嶋亀寿に宛てた田原親家家督安堵并恩賞宛行状で,太郎丸10貫分を加恩するとある(大友史料25)亀寿は萱嶋美濃守宏次の孫なお安岐郷には太郎名が存在するが,当名と同一実態を示すものか未詳 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
太郎丸名(中世) 鎌倉期~南北朝期に見える名田名薩摩国祁答【けどう】院のうち建久4年の薩摩国諸郡注文に「祁答院〈自名 太郎丸名〉」とある(宮之城記/入来文書)南北朝期には当名は渋谷千代童丸所領で,暦応4年5月5日に渋谷石見権守重棟子息弥四郎重春らが「祁答院太郎丸名長野宿所」に放火狼藉したため,同年7月には千代童丸が薩摩守護島津貞久(道鑑)に出訴している(道鑑公御譜/旧記雑録)現在の薩摩町永野付近に比定されようなお,寛元4年2月8日惣地頭所下文に見える冠岳権現に寄進された「太郎丸名内那良原壱曲」は薩摩郡内とあるが,あるいは当名と同所かと思われる(串木野頂峯院文書/旧記雑録)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」