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- 長小野村(近世)とは
「長小野村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 長小野村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国大分郡戸次【へつぎ】荘のうち大野川支流の吉野川上流の丘陵地に位置する文禄3年早川長敏領,慶長2年福原直高領,同4年早川長敏再封,同6年から臼杵藩領寛永11年の内検帳によると,吉野福良村組に属し,村高は861石余,同年の「知行高目録」では644石余(稲葉文書),「正保郷帳」861石余,うち田501石・畑361石余,「見稲簿」同高,「天保郷帳」には見えず,「旧高旧領」では147石余文政6年当時は志津留【しつる】村・萩尾村・杉原村・奥村との5村からなる長小野組に属す明治4年大分県に所属同8年3月上志津留村・中志津留村・下志津留村と合併して志津留村となる現在の大分市大字志津留のうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 長小野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 長小野村(近世) 江戸期~明治8年の村名永小野とも書く豊後国大野郡土師【はじ】郷のうち大野川の支流柴北川の上流域に位置する文禄3年以降岡藩領栗ケ畑組に所属村位は下村高は「正保郷帳」101石余,うち田62石余・畑39石余,茅山あり「見稲簿」85石余,「天保郷帳」105石余,「旧高旧領」185石余寛政3年の免7ツ7分(犬飼町誌)鎮守は熊野社物産は米・麦・大豆・粟・小豆・大根・里芋など(大野郡村誌)明治4年大分県に所属同8年長畑村となる現在の大野郡犬飼町大字長畑のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 長小野村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国大野郡宇田枝【うたえだ】郷のうち岡藩領大野川の支流奥嶽川左岸の山間部に位置する日小田組に所属村高は「正保郷帳」61石余,うち田37石余・畑24石余,村内に柴山がある「見稲簿」同高寛政3年91石余・免6ツ1分,村位は下(名面帳)「天保郷帳」61石余,「旧高旧領」92石余村内に長迫村から尾平鉱山に至る往還が通過する明治4年大分県に所属同8年木南切村ほか5か村と合併,平石村となる現在の大野郡清川村大字平石のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 長小野村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国直入郡倉木郷のうち緒方【おがた】川の上流,門田【もんでん】川流域の狭い段丘状の平地に位置する岡藩領門田組に属す村高は「正保郷帳」132石余,うち田94石余・畑38石余,柴山がある「見稲簿」「天保郷帳」同高,「旧高旧領」164石余村位は上大津留村小庄屋の支配を受けた(農民一揆)明治4年大分県に所属同8年門田村となる以来通称地名として存続現在の竹田市大字門田のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」