- JLogos検索辞書>
- 中津藩(近世)とは
「中津藩(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
![]() | 中津藩(近世) 江戸期の藩名豊前国中津地方を領有した譜代藩備後国のうちにも所領をもち,享保2年からはじめ福山藩領,元禄11年から幕府領となった地を領有し,明治維新まで存続している享保2年本藩では丹後国宮津藩主奥平昌成が10万石で入封しており,内高11万4,621石であったこのうち備後国の36か村・2万14石が領地とされ,郡別内訳は神石郡22か村,甲奴郡12か村,安那郡2か村であった藩主昌成のあとは昌敦・昌鹿・昌男・昌高・昌暢・昌猷・昌服・昌邁と150年余にわたり在封した前野良沢は,藩医であり,下級藩士出身の中には福沢諭吉がいた明治4年,甲奴郡中津藩領は中津県を経て広島県に所属,安那・神石両郡の当藩領は中津県,深津県,小田県,岡山県を経て,同9年に広島県に所属なお本藩領も明治4年に中津県となり,以後小倉県,福岡県を経て,大分県に所属した |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」