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西中村(近世) 江戸期~明治9年の村名阿蘇郡のうち阿蘇南郷谷,御竈門山南麓に位置する地名の由来は,南郷谷北半のほぼ中央の西に位置することによる御竈門山中腹,水口川上流域に壇城跡がある江戸末期までに上中村から分村して成立したと思われる熊本藩領村高は「旧高旧領」670石余高森手永に属す「南郷事蹟考」では,「西上中村」と見え,高651石余,小村に原村・芹川村・芝原村・峰村が見える(肥後国誌)細川家侍帳によると,当村における藩士知行地は森忠大夫正時48石余・斉藤勘助194石余・田辺孫之進111石余・富田小左衛門成純143石余(肥後読史総覧)峰村に壇城跡があり,別称鶴翼城・水口城・中村城・峰城などという同城は阿蘇大宮司が築かせたと伝え,阿蘇家が南北両朝に分かれて所領を争った所という天正年間は中村伯耆守惟冬の居城であったが,同13年頃島津勢に攻め落とされた当地に多い中村姓・峰姓はその末裔という熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属明治6年の後藤基行覚書(一の宮町岩下氏蔵文書)によると,戸数56,人口は男119・女128同9年中松村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
西中村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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西中村(近世) 江戸期~明治9年の村名遠江【とおとうみ】国榛原【はいばら】郡のうち牧ノ原台地の東南,駿河【するが】湾に注ぐ萩間川下流右岸に位置する幕府領,宝永2年三河国伊保藩領,同7年相良【さがら】藩領,宝暦8年相良藩領,天明7年幕府領,寛政6年一橋領を経て,文政6年からは相良藩領となる村高は,「元禄高帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに148石余「遠淡海地志」によれば戸数39,臨済宗蔵泉寺・春日明神・天白社・高根社がある明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県,浜松県を経て同9年再び静岡県に所属同9年菅ケ谷村に合併現在相良町大字菅ケ谷の通称地名として残る... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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