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- 弁分(中世)とは
「弁分(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 弁分(中世) 鎌倉期に見える荘園名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 弁分(中世) 鎌倉期に見える地名豊後国国東【くにさき】郡都甲【とごう】荘のうち別符が「べんぶ」となり,「弁分」の字をあてたらしい現在地未詳建暦2年11月日の都甲荘弁済使八多某宛文案に,「宛下 丹治光貞所 可早任古作跡下作,都甲御□(庄)弁分田畠等□(事)」とあるのが初見(都甲文書/大友史料2)承久3年の都甲荘造宇佐仮宮料米徴符にも,「弁分八升七合」と見える(同前)康永元年の沙弥正玄(志賀忠能)譲状の「都甲久末別府」は,別地名であろう... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 弁分(中世) 南北朝期に見える地名豊後国国東【くにさき】郡真玉【またま】荘のうち現在地未詳別符がなまって「べんぶ」となり,「弁分」の字を宛てたもの永徳元年9月26日の沙弥某奉書に,「当山(御許山)領豊後国於真玉庄内弁分・石田畠屋敷等者,為一円当山領」とあるのが,唯一の史料(佐田文書/太宰管内志・大友史料8)当時宇佐本宮御許山領であった... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」