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- 元村(近世)とは
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元村(近世) 江戸期~明治9年の村名筑後国三池郡のうち隈川中流域に位置する柳川藩領田隈組に属す文禄4年12月1日豊臣秀吉が高橋統増(直次)に与えた三池郡内知行方目録に「本」248石8斗とある(大牟田市史)村高は,「元禄国絵図」307石余,「天保郷帳」332石余,「旧高旧領」307石余明治5年の反別は29町余(郡郷/立花家文書)文化9年2月9日伊能忠敬が当村神屋原を測量産土神の熊野宮は字高木天神のあとに建立されたといわれる江戸期には夜泣松といわれた古松一株があった朝鮮出兵の際の藩主立花宗茂の手植の松は,この松葉を焚いて夜泣きする子にあたらせると夜泣きがなおったと伝えられる字神屋原は元村から原内山村にかけての所で,江戸期には人家40余戸,武内宿禰の軍がここに宿ったとの伝説があり,神宿ノ原といった(三池郡田隈組村誌)同所に十三塚があり,戦死者を埋めたもの,あるいは男子国の熊襲が女王国(耶馬台国)を攻めたときの戦場という伝説もある(旧柳川藩志)明治9年吉野村の一部となる現在の大牟田市吉野の一部にあたる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」