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宮崎県>宮崎市

 明治22年〜現在の大字名。はじめ生目村,昭和38年からは宮崎市の大字。明治24年の幅員は東西28町余・南北1里9町余,戸数183・人口849(男439・女410),厩186,学校1,小船8(徴発物件一覧表)。当地は黒皮カボチャ誕生の地といわれる。第2次大戦前は稲作と養蚕が中心であったが,現在は木々の緑とビニールハウスが点在する農村地帯で,キュウリ・ピーマン・メロンなどを栽培する専業農家が約5分の1,大半は兼業農家である。地内には「お伊勢さん」で親しまれ豊受大明神などを祭神とする跡江神社,史跡公園化構想の中心となっている生目古墳群のほか,市跡江清掃工場,宮崎・東諸地域家畜市場,野球場やテニスコートを完備した運動公園などがある。昭和57年一部が小松台北町となる。世帯数・人口は,昭和50年457・1,627,同58年526・1,787。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7459597
最終更新日:2009-03-01




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