ケータイ辞書JLogosロゴ 嵐田郷(近世)


宮崎県>国富町

 江戸期の郷名。日向国宮崎郡および諸県郡のうち。高鍋藩の地方支配のための郷名で,穆佐【むかさ】院に属す堤内村と真幸【まさき】院に属す嵐田村・吉野村の3か村からなる。はじめ本藩領であったが,貞享3年3代藩主種信が第3子式部種封に2,000石を分知し,さらに元禄2年1,000石を加増して式部領3,000石を立てたことに伴い,当郷3か村は分知の式部領となった。村高は,寛文4年「日向国之内秋月領地覚」(川南町史),元禄11年「日向国覚書」,「天保郷帳」にはともに堤内村151石余・嵐田村522石余・吉野村360石余,「旧高旧領」では堤内村328石余・嵐田村1,330石余・吉野村824石余。明治4年の廃藩置県により郷名は消滅した。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7459612
最終更新日:2009-03-01




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