ケータイ辞書JLogosロゴ 飯野村(近代)


宮崎県>えびの市

 明治22年〜昭和15年の西諸県郡の自治体名。大河平・杉水流・原田・上江・末永・池島・今西・前田・坂元・大明司の10か村が合併して成立。旧村名を継承した10大字を編成。村役場は原田におかれた。明治24年の戸数1,203・人口5,803(男3,027・女2,776),厩627,寺院1,学校3,水車場2(徴発物件一覧表)。同44年の戸数1,659・人口9,606。世帯数・人口は,大正9年2,898・人口1万3,405,昭和10年2,845・1万9,127。明治41年5月に起きたフランス山暴動事件は,県労働運動史上最初の事件といわれ,増税・物価値上りと政府の外国資本導入政策を背景として,フランス系資本飯野東洋製材株式会社の日本人監督による不当解雇と賃上げ拒否によって,約70名の職工・工夫が工場・機械などを破壊する暴動であった(飯野フランス山暴動事件の基礎的研究)。大正元年10月には宮崎線(現国鉄吉都線)が開通し,原田に飯野駅が設置されて宮崎で最初の本格的な鉄道の導入となった(県古公文書)。大正10年には,有租地のうち田1,178町7反余・畑912町1反余・宅地129町8反余・山林1,601町6反余・原野901町6反余,生産総額233万4,199円,うち農産172万8,142円・畜産6万4,057円・林産47万5,003円・水産1,615円・工産6万2,562円・鉱産2,820円,農業就業戸数は自作392(うち副業12)・自作兼小作572(うち副業22)・小作680(うち副業50),耕作地反別は田1,165町3反・畑986町3反,自作地790町6反・小作地1,361町,小学校は3校あり,飯野尋常高等小学校の学級数20・児童数1,135・教員数23,上江尋常小学校の学級数9・児童数424・教員数10,大河平尋常小学校の学級数5・児童数257・教員数6(西諸県郡勢要覧)。同12年には飯野小作争議が発生し,小作人側の勝利となって解決した(西諸県郡沿革史)。昭和9年南部のえびの高原を含む霧島山一帯が霧島屋久国立公園に指定された。同10年の総生産額161万280円,うち農産104万2,087円・蚕糸7万6,704円・畜産10万4,480円・林産25万7,024円・水産666円・工産6万4,563円・鉱産6万4,756円,民有有租地のうち田1,238町8反・畑897町3反・宅地140町1反・山林1,598町5反・原野953町1反,耕地面積2,146町,うち田1,268町1反・畑877町9反(県統計書)。同15年町制施行。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7459633
最終更新日:2009-03-01




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