ケータイ辞書JLogosロゴ 伊佐保別符(中世)


宮崎県>国富町

 平安末期〜戦国期に見える別符名。日向国諸県【もろかた】郡のうち。「宇佐大鏡」によれば,「上宮 収納使分名田 諸県荘内 伊佐尾 富松 衾田」とあり,宇佐宮の収納使分の名田として諸県荘のうちに含まれていたことがわかる。下って鎌倉期の建久8年の「日向国図田帳写」によれば,日向国内の宇佐宮領1,913町のうちに「伊佐保別符三十町 右同郡内〈弁済使僧静蓮〉」とあり,諸県郡に属し,弁済使は僧静蓮であった。さらに南北朝期の貞和5年12月14日の沙弥某書下(郡司文書/日向国荘園史料1)には「日向国諸県庄内三ケ名〈伊佐尾・倉(衾カ)田・富松〉」とあり,北朝方の沙弥某は那賀九郎盛連に対して三ケ名の預所職を与え,年貢の納入を命じている。応永28年の「五郡田代写」には諸県郡内として「伊佐保別府三十町」とあり,さらに下って天正19年の「日向国五郡分帳」には「伊佐尾 八町」と見える。地内には,伊東氏の都於郡【とのこおり】居城時の支城と推測される伊佐生城跡がある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7459656
最終更新日:2009-03-01




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