ケータイ辞書JLogosロゴ 四家村(近世)


宮崎県>高城町

 江戸期〜明治22年の村名。日向国諸県【もろかた】郡のうち。四ケ村とも書く。鹿児島藩直轄領。高城【たかじよう】郷に属す。寛文4年「日向国諸県郡村高辻之帳」,元禄11年「日向国覚書」,「天保郷帳」ではともに村名が見えず,「旧高旧領」では村高221石余とある。江戸後期に成立した村であろうか。嘉永6年成立の「御道中記」によれば,当村の規模は東の山中街道より西の高埼の内大川境に至るまで74町17間,南の七瀬谷入口(有水村北鷹八重に当たる)から北の高岡の内去川境に至るまで109町26間,竈数2・人数18,門数2,牛21(牡牛11・牝牛10),駄16,高頭102石余,庄屋はおらず有水村の庄屋が兼務していたという。明治4年鹿児島県,都城県を経て,同6年宮崎県,同9年鹿児島県,同16年からは宮崎県に所属。同年北諸県郡に属す。「日向地誌」の著者平部嶠南が諸県郡を調査したのは明治13年で,同書によれば,当村の規模は東西約1里18町・南北約2里,東は内山村,西は江平村,南は有水村,北は紙屋村と接し,宮崎県庁からの里程は西へ約6里26町,地勢は「闔境崎嶇山谷ノ間処処ニ散錯シテ聚落ヲナス,道路険艱運輸便ナラス,唯薪芻ハ乏シカラス」と見え,地味は「其田大約黒ニガ土,其質下ノ下,畑ハ大約ボラ土,赤黒雑ル,其質亦下ノ中,水利ハ便ナリ,旱災ハ鮮ナシト雖モ,雨歳ハ澗水冷ニシテ多ク登ラス」とある。また,税地は田37町余・畑21町余・宅地7町余・荒田2町余・不定田1反余・切換畑55町余・山林7反余・芝地5町余・藪11町余などの計141町余,無税地は計4反余,官有地は山林424町余・原野2町余・芝地52町余・藪1町余などの計480町余,貢租は地租金216円余・雑税金34円余の計251円余,戸数63(うち社1)・人数363(男178・女187),牛49・馬106,村内の字地別戸数は蓑野13・蕨ケ野10・様ケ野6・大開13・雀ケ野7・平八重8・本八重7。学校は地内蓑野に人民共立小学校があり,生徒数は男16。戸長役場は隣の有水村にあり,神社は蓑野に長野神社がある。民業は皆農業に従事し,農間には牛馬売買に1戸が従事した。物産は,駒5〜6頭・猪鹿80〜90頭・貉兎狸ノ類40〜50頭・鰻250尾・櫓木500丁・櫛木800貫匁・椎皮1万5,000貫匁・樟脳20丁・炭3,000俵・細辛50斤・柴胡100斤・柴根20斤・椎茸150斤・蜂蜜10斤・舞茸20斤。さらに,川は赤江川・四家村川が流れ,古跡として井ノ城跡・平八重城跡が記される。明治21年の戸数81・人口460,反別は田39町余・畑76町余・宅地7町余・山林480町余・原野11町余・雑種地8町余の合計624町余,諸税および町村費の納入額は国税242円余・地方税74円余・町村費33円余,村有財産は山林8畝などがあった(郡行政/県古公文書)。明治22年高城村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7460250
最終更新日:2009-03-01




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