ケータイ辞書JLogosロゴ 田島荘(中世)


宮崎県>佐土原町

 平安末期〜戦国期に見える荘園名。那珂郡のうち。「宇佐大鏡」によれば,寛治7年に立券された宇佐宮領田島荘は起請田39町で,長承年間の宇佐宮領の目録には39町3反10代と記されている。安元2年2月の八幡宇佐宮符案(奈多八幡宮縁起私記/平遺3741・3744)によると,宇佐宮はこの年の6年に一度の行幸会に際し,綾を運ぶ船の水手1人を田島荘から出す様に命じており,さらに,御服綿・手作布・麻布・柴等の賦課を行っている。建久8年の「日向国図田帳写」によれば,日向国の宇佐宮領1,913町のうち田島荘は90町の田積をもち,臼杵【うすき】郡内と見える。地頭は「故勲藤原左衛門尉」。田島荘を臼杵郡としているのは,「宇佐大鏡」の那珂郡の表記と異なっている。平安期と鎌倉期では郡域の変更があったか,もしくは,史料そのものに問題があるのか,検討を要す。「日向国図田帳写」には,田島荘とは別に,八条女院領国富荘一円荘のうちに「田島破」40町が見える。のち,暦応3年7月16日,足利尊氏が山城国大光明寺に「国富荘内田島郷」を寄進しているが(天竜寺造営記録/日向国荘園史料1・大日料6‐6),この田島郷は田島破と関係するものと推定される。この間,元弘3年7月6日左衛門尉重康奉書案(永弘文書/大分県史料3・日向国荘園史料1)によれば,「宇佐宮領日向国田島庄」の地子納入をめぐって宇佐公景と公春の間に相論があり,宇佐大宮司に対して地子は公景に返付するよう命じている。このことは,鎌倉末期の頃,田島荘の支配をめぐって宇佐宮の内部で混乱の発生したことを示している。さて,次に田島荘を根拠に領主として成長した伊東氏の動向に目を移すと,建武2年7月8日,伊東祐勝は「日向国たしまの庄のうち」の祐勝知行分を某人に譲り,一期の後は,祐勝の息子金熊丸に知行させるようにと書き置いている(伊与西福寺文書/日向国荘園史料1)。この文書の上包に「大くわうしにきしん申候」と大光寺への寄進を示す文言があるが,この文書に先立って,伊東祐勝が正慶2年3月11日,金熊丸に上田島荘内の田畠・屋敷を譲った文書にも大光寺への寄進を示す端裏書がある。暦応元年11月7日,日向国の北朝方の国大将畠山義顕は,伊東金熊丸に対して田島荘内堤村の一分地頭職を安堵している。延文6年8月15日に上田島荘内堤村の知行分が大光寺に寄進されたが,この時の寄進者が伊東顕祐であることから,金熊丸は顕祐のこととみられる。畠山義顕は暦応3年8月9日,伊東金熊丸の申し出により田島荘内堤村の一分地頭職を安堵し,その打ち渡しを伊東大和六郎左衛門尉祐持に命じている(以上,大光寺文書/日向古文書集成・日向国荘園史料1)。祐持は義顕の命でこの年8月11日に遵行し,金熊丸に打ち渡していることが知られる(伊与西福寺文書/日向国荘園史料1)。なお,ここで田島荘とも上田島荘とも見えることについては,その区分が何によるものか明らかでない。あるいは,田島破・田島郷に関係するものかとも考えられるが未詳。また,康永2年1月23日,田島荘に田3町・畠1町・屋敷1か所を領していた尼ゆうゑんは,これを小松の尼後家めうしんに譲ったが,めうしんがゆうゑんに返付したため,田2町2反・畠1町については息子とみられる又二郎に譲っている。この2町2反を伝領したとみられる伊東祐聡(又二郎か)は,康永4年12月12日,田2町2反を大光寺に寄進し,さらに,貞和3年10月25日には三田井の横枕にあった4反を同じく大光寺に寄進している。田島荘を根拠にした伊東氏一族田島氏の所領寄進によって,大光寺が田島氏の氏寺として基盤を固めていく様が読みとれる。こうした中で,貞和3年12月25日,玄範は玄範重代相伝の田島荘内蓮光寺を代銭36貫文で大光寺に売却しているように,田島荘内に大光寺の末寺や寺域が拡大していったことがわかる(以上,大光寺文書/日向古文書集成・日向国荘園史料1)。戦国期の天文2年8月3日宇佐宮領注文(到津文書/大分県史料24)は,「中古以来」の宇佐宮領を書きあげたものだが,「田島庄」10町と見える。10町の田数は建久図田帳や「宇佐大鏡」の起請田の田数とも異なっており,何に依拠したものか不明である。最後に,「旧事集書」等に見える上田島金柏寺(廃寺)の鐘銘について記しておきたい。その銘文は「日薩隅三州太守藤原義祐朝臣 前総持永平直翁大和尚 日本国日向国田島庄照桂山金柏寺 天文二十又一年王子八月二十日成就之」である。島津氏との対抗関係の中で,伊東氏が南九州3か国の守護であると自らを意識した内容となっており,この頃の島津・伊東両氏が守護職をめぐって室町幕府で争う内容と一致し,興味深いものがある(日向郷土史料集1・日本古鐘銘集成)。なお,天正19年の「日向国五郡分帳」には「佐土原〈田島 上下〉八十町」と見える。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7460417
最終更新日:2009-03-01




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