- JLogos検索辞書>
- 堤村(中世)とは
「堤村(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
![]() | 堤村(中世) 南北朝期に見える村名豊後国玖珠【くす】郡飯田【はんだ】郷野上村のうち所在地未詳現在の玖珠郡九重【ここのえ】町大字右田の中に,字広堤・重堤などがあるが,これと関係があるかもしれない建武元年9月29日の「雑訴決断所牒」に,「資親申当国野上村堤・右田両村地頭職事」とあるのが初見(諸家文書纂所収野上文書/大友史料5)これは,野上資親が両村地頭職について訴えたので,雑訴決断所が堤六郎入道道祐に散状を申さしめたものである堤氏が名字の地として,領有していたことがわかる永享8年9月26日の野上飛騨守知行分目録に,「一所 堤の内三反」とある「堤の内」が当村とすれば(上田節蔵所蔵野上文書/大友史料10),これがその終見である |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 堤村(中世) 戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」