ケータイ辞書JLogosロゴ 堤村(中世)


宮崎県>佐土原町

南北朝期に見える村名日向国那珂郡のうち暦応元年11月7日,北朝方の日向国国大将畠山義顕は,田島荘内堤村一分地頭職を伊東金熊丸に安堵し,その後,義顕は金熊丸の申し出により同3年8月9日堤村一分地頭職を安堵し,伊東祐持に打ち渡しを行うよう命じている伊東顕祐(金熊丸か)は延文6年8月15日に「上田島庄内堤村」の水田4町と屋敷を大光寺に寄進したが,その内容を示す同年同月日伊東顕祐寄進田畠坪付によれば,水田4町は石タ・河たたき・不動寺・内丸・さかこし・つむき田・十六・桑門・くらつめ・花下その田・くほ田・田中前・小松池にあり,このうち桑門と花下その田は「畠成」と畠化しているまた,不動寺の2反は「御寺きしん」とあって,不動寺の寺田が大光寺に寄進されたものかと推定され,くほ田1反余は「古田八幡供きしん」とあって,古田(巨田)八幡宮の神田が大光寺に寄進されたと推定されるまた畠分としては,堤に居薗,花下に百姓薗,すいかつるに百姓薗と記されていることから,堤に領主の居薗(居館)があり,花下とすいかつるには百姓の集落が形成されていたものと推定される現在の佐土原【さどわら】町上田島の隄を中心とする地域とみられる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7460466
最終更新日:2009-03-01




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