ケータイ辞書JLogosロゴ 十日町(近世)


宮崎県>小林市

 江戸期〜明治22年の町名。諸県郡のうち。鹿児島藩直轄領。小林郷に属す。細野村(十日町村)地内に形成された野町(在郷町)。中世末期から近世初頭にかけて小林郷の政治的中心が北東の小林城に移ってからは,町の繁栄は五日町に移り,当町は衰えていくことになった(小林市史)。町の規模は長さ2町・幅30間であった(日向地誌)。幕末の家部26,家数28・人数90(小林誌)。当町には町名頭,郷役人の別当が置かれ,慶応4年の「小林万取調帳」によれば,小林郷の部当2人が当町と五日町を支配した。名頭は町人から選ばれ,「小林五日町・十日町野町人共名頭斗名字付御免候事」(宗門手札改条目)とあるように苗字が許されていた。「三国名勝図会」によれば,雛守神社の祭礼のある11月15日に開かれる市はとくににぎやかで,鹿児島・重富・蒲生・帖佐・加治木・国分・都城・高岡などの諸郷からの客が群集したという。明治4年鹿児島県,都城県を経て,同6年宮崎県,同9年鹿児島県,同16年からは宮崎県に所属。同年北諸県郡,翌17年からは西諸県郡に属す。廃藩置県後は細野村のうちとして扱われることもあった。明治13年に諸県郡各村を調査した平部嶠南の「日向地誌」では,当町は細野村の字地の1つとして見え,戸数20とある。同21年の「郡行政」(県古公文書)では,当町は細野村とは別に記載されており,江戸期と同様に細野村と区別されていたことがわかる。同書によれば,戸数19・人口76,田畑宅地などの反別はなく(地籍上は細野村内にあったとされているからであろう),諸税および町村費の納入額は国税9円余・地方税6円・町村費8銭余・協議費4円余。明治22年小林村細野の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7460523
最終更新日:2009-03-01




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