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南郷(中世)


 鎌倉期~戦国期に見える郷名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7460608]
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角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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南郷(中世)

 鎌倉期~戦国期に見える郷名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

南郷(中世)
南北朝期~戦国期に見える郷名摂津国豊島【てしま】郡のうち春日社領垂水西牧のうち桜井郷・榎坂郷を南郷,原田郷・萱野郷を北郷と称した両郷の呼称は,垂水西牧の荘園化を郷単位で進めた摂関家春日社によってなされたものと思われる暦応3年5月5日の摂津国守護赤松範資注進状案(勝尾寺文書/箕面市史史料編2)に「同国(摂津)南郷穂積住人」とあるのが初見で,穂積村が当郷のうちであったことがわかるが,「北郷」の名は文保年間にすでに見えるので,西牧を南・北両郷に区別するようになったのは鎌倉末期頃かと推定される社家は両郷にそれぞれ牧務職を置いたが,唐院古文書写所収の延徳2年12月日の神人春枝申状(大乗院文書/吹田市史4)や「多聞院日記」文明18年8月20日条などによると,当郷牧務職は社家坂口家,ついで大東家がこれを相伝したことが見えているところが「雑事記」寛正2年6月1日条には,この頃当郷の牧務職はその知行が困難となったため,興福寺学侶方が同職を引き継いだことが見えている戦国期には垂水・榎坂・小曽禰・服部・穂積を総称して「南郷五ケ村」とも称したまた天文2年頃には,南郷と北郷は毎月の春日社日並供御を15日間ずつ分担していたが,毎月6日から10日の日並分料は「南郷桜井郷」が,21日から晦日の分は「南郷五ケ村」が各々負担していた(多聞院日記)なお,永正4年と推定される10月11日の興福寺供目代快栄書状(今西文書/豊中市史史料編1)によると,永正年間池田筑後守が南郷五か村の押領を企てて失敗した旨が見え,戦国期には池田氏が進出していた結局,社家も年貢収納のために池田氏を登用せざるをえず,天文15年6月日の池田信正の南郷神供米切出注文(同前/豊中市史史料編2)によると,信正は社家目代今西氏に,南郷から150石の神供米を水損にかかわらず,給人から納入させるように約しており,池田氏による給人支配体制が確立していたことがわかる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

南郷(中世)
南北朝期~戦国期に見える郷名摂津国豊島【てしま】郡のうち春日社領垂水西牧のうち桜井郷・榎坂郷を南郷,原田郷・萱野郷を北郷と称した両郷の呼称は,垂水西牧の荘園化を郷単位で進めた摂関家春日社によってなされたものと思われる暦応3年5月5日の摂津国守護赤松範資注進状案(勝尾寺文書/箕面市史史料編2)に「同国(摂津)南郷穂積住人」とあるのが初見で,穂積村が当郷のうちであったことがわかるが,「北郷」の名は文保年間にすでに見えるので,西牧を南・北両郷に区別するようになったのは鎌倉末期頃かと推定される社家は両郷にそれぞれ牧務職を置いたが,唐院古文書写所収の延徳2年12月日の神人春枝申状(大乗院文書/吹田市史4)や「多聞院日記」文明18年8月20日条などによると,当郷牧務職は社家坂口家,ついで大東家がこれを相伝したことが見えているところが「雑事記」寛正2年6月1日条には,この頃当郷の牧務職はその知行が困難となったため,興福寺学侶方が同職を引き継いだことが見えている戦国期には垂水・榎坂・小曽禰・服部・穂積を総称して「南郷五ケ村」とも称したまた天文2年頃には,南郷と北郷は毎月の春日社日並供御を15日間ずつ分担していたが,毎月6日から10日の日並分料は「南郷桜井郷」が,21日から晦日の分は「南郷五ケ村」が各々負担していた(多聞院日記)なお,永正4年と推定される10月11日の興福寺供目代快栄書状(今西文書/豊中市史史料編1)によると,永正年間池田筑後守が南郷五か村の押領を企てて失敗した旨が見え,戦国期には池田氏が進出していた結局,社家も年貢収納のために池田氏を登用せざるをえず,天文15年6月日の池田信正の南郷神供米切出注文(同前/豊中市史史料編2)によると,信正は社家目代今西氏に,南郷から150石の神供米を水損にかかわらず,給人から納入させるように約しており,池田氏による給人支配体制が確立していたことがわかる...

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南郷(中世)
 戦国期に見える郷名...

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南郷(中世)
 戦国期に見える郷名...

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南郷(中世)
 室町期から見える郷名...

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南郷(中世)
 鎌倉期~南北朝期の郷名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

南郷(中世)
戦国期に見える郷名水内【みのち】郡のうち葛山の西北方の山地にあり,北郷に対する両郷合わせて北南之郷ともいい,1郷分の所務を負担した天文23年3月20日の下諏訪造宮取所覚には「北郷・南郷共正物合三貫五百文 此外小役四百文」とあり,広瀬荘7か郷では秋宮の造営費24貫500文を負担し,北郷・南郷はそのうち3貫500文を負担した(桃井文書/信史12)元亀元年9月1日の武田信玄寄進状案に新寄進分として「拾壱貫五百 南郷之内〈伊毛井村在家梨窪山共ニ〉」とあり,飯縄神領として寄進されている(仁科文書/同前13)梨窪山の南,江戸期の新安村周辺,現在の長野市富田付近に比定され,当郷は「和名抄」芋井郷の名残と考えられている...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

南郷(中世)
鎌倉期に見える郷名筑後国三潴【みずま】郡のうち永仁4年12月の玉垂宮大善寺仏神事注文写(隈文書/鎌遺19238)に,三潴荘鎮守玉垂宮の5月15日に行われる五月会の際出される日饗膳について,「給主米一升令下行,西南郷百姓等同二升饗同,下机一臈充,号田堵饗,八ケ所座并相撲三十四人備之」と見える同文書に東郷・西郷・中郷とあるから,この西南郷は西郷および南郷と解すべきであろう三潴郡内を東・西・中・南4郷に分けたものと思われるが,他の史料にこれらの郷名は見えず,玉垂宮神役勤仕のための便宜的な呼称であろう南郷に属する村名については記す所がなく,具体的な比定地は未詳...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

南郷(中世)
 鎌倉期から見える郷名...

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南郷(中世)
 南北朝期から見える郷名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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