ケータイ辞書JLogosロゴ 広原(近代)


宮崎県>高原町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ高原村,昭和9年からは高原町の大字。明治24年の幅員は東西1里・南北30町,戸数223・人口1,093(男542・女551),厩223,学校1,水車場1(徴発物件一覧表)。広原尋常小学校の大正元年の学級数5・児童数213(宮崎県大観),同5年学級数6・児童数242,同9年には児童数261で出席率96.54%であった。大正6年広原農業補習学校が併設され,生徒は男子のみ64人。昭和19年から約2年沖縄県那覇市泊国民学校の児童約70名が集団疎開していた。同22年広原小学校開校,同25年字常盤台に高原小学校の分校が置かれ,同41年独立して常盤台小学校となるが,同48年高原小学校に統合された。地内は行政的には昭和20年までは2区に分けられていたが,昭和59年現在では4区に分けられ,さらに各区は班に分けられている。西広原区は4班,上広原区は8班,下広原区は15班,常盤台区は6班で,各区に区長,各班に班長がおかれている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7460739
最終更新日:2009-03-01




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