ケータイ辞書JLogosロゴ 持田(近代)


宮崎県>高鍋町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ上江村,昭和13年からは高鍋町の大字。明治24年の幅員は東西1里余・南北32町余,戸数219・人口1,145(男591・女554),厩219,学校1,水車場15,大船2・小船34(徴発物件一覧表)。大正5年12月日豊線を海岸に敷設することが決定,同10年6月高鍋〜美々津間の運転開始,同12年12月全線が開通し,国鉄日豊本線となり,延岡で全線開通式が行われた。日豊本線開通により利益を受けた反面,鴫野地区は海岸の砂利が建築基礎材料として多量に採取され,大洪水・潮害・風害の危険にさらされる様になった。同線開通によって高齢松樹の防潮林が伐採されたことが原因で大洪水・潮害・風害の危険にさらされる様になった。昭和4年10月持田古墳が発掘され,同36年2月持田古墳群は,国史跡に指定された。昭和22年2月小丸川のうち下流の木城【きじよう】町高城【たかじよう】から河口までの改良工事起工式が行われ,同年小丸川が適用河川に編入され,さらに同42年5月小丸川は1級河川に指定された。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7460983
最終更新日:2009-03-01




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