ケータイ辞書JLogosロゴ 山田町(近代)


宮崎県>山田町

 昭和28年〜現在の北諸県郡の自治体名。村制時の2大字を編成。当地は,腐植質の含有量が比較的多く,地味肥沃で稲作に適している。また,畑も霧島火山の噴火の影響で火山灰の混じる赤土・赤ぼらと称する土壌が多い。近年は霧島ぼら土の名で園芸用土として各地で販売されるようになった。昭和30年に着工し,最大出力48kw,総工費2,233万円で完成した駒発電所は同31年から発電を開始した。同35年の15歳以上就業者総数6,062のうち農業4,824・卸業および小売業344・サービス業216など,農家総数1,796戸,うち専業農家1,147戸・兼業農家649戸,経営土地面積は田6,063a・畑1万952a・茶園50a・果樹園4a・桑園559a・山林8a,同36年の民有有租地のうち田583.7ha・畑1,054.4ha・宅地97.2ha・山林639.7ha・原野423.8ha(県統計年鑑)。当町は稲作中心の農業であったが,同45年米の生産調整を契機に畜産中心の農業へ転換した。今では農業生産総額の約50%を占めている。同50年の民有地のうち田578ha・畑1,235ha・宅地142ha・山林1,133ha・牧場1ha・原野211ha,15歳以上就業者総数4,850のうち農業3,190,林業・狩猟業17,漁業・水産養殖業4,鉱業3,建設業301,製造業304,卸売業・小売業430,運輸通信業84,サービス業352,公務132,農家総数1,587戸,うち専業農家450戸・第1種兼業農家512戸・第2種兼業農家625戸,経営耕地面積は田5万7,015a・畑7万1,202a・樹園地1万1,766a,昭和48年度の町民所得は総額36億円余,うち第1次産業13億円余・第2次産業6億円余・第3次産業17億円余(県統計年鑑)。昭和33年・44年・48年に都城市と境界変更が行われた。世帯数・人口は,昭和35年2,253・1万1,303,同45年2,322・9,037,同55年2,568・8,997。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461042
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ