ケータイ辞書JLogosロゴ 秋目村(近世)


鹿児島県>坊津町

 江戸期〜明治22年の村名。薩摩国河辺【かわなべ】郡久志秋目郷のうち。江戸初期当村が1郷として把握されることもあった(県史)。村高は「天保郷帳」によれば59石余,「旧高旧領」によれば64石余。「県地誌」によれば戸数315,うち社2,人口1,328,うち士族402・平民926。当村は千石船を含む74艘の交易船,漁船を有する港で,主として琉球,日本海沿岸,蝦夷地などと交易していた。当時使用したという「蝦夷語箋」(嘉永7年甲寅5月仲夏新刻)が現在町立歴史民俗資料館に保存されている。主に宮内家・月野家・岩元家・満尾家などが交易していたが,月野家は密貿易のかどで隠岐島に流されたという。宮内家の子孫平蔵は島津斉彬が幕府に献上した洋式軍艦昇平丸の親司として安政2年に江戸へ回航しその功績によって秋目の南岸にある閼伽間【あかのま】の漁場を受けた(坊津町郷土誌)。鎮守の九玉大明神社には元亀2年の棟札や寛正5年銘の鰐口などがあったと伝える(同前)。仏徳山正法寺は加世田日新寺の末で曹洞宗。宇都寺・中寺・隅寺の跡では寺子屋が開かれていた。物産としては,鰹・魳・イカ・鯛・シビなど魚介類の種類も多いが,なかでもカラスミは特産である。明治2年南方郷に所属。明治22年西南方村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461117
最終更新日:2009-03-01




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