ケータイ辞書JLogosロゴ 厚地(中世)


鹿児島県>郡山町

 鎌倉期から見える地名。薩摩国満家院のうち。建保6年9月の厚地山掛仏銘の中に「薩州満家院厚地山権現」とあるのが初見(旧記雑録)。「厚地山権現」とは花尾神社のことで,この銘文によれば,当時の満家院の預所・地頭は惟宗忠久であり,院司は大蔵幸満であった。幸満は幸光とも書き,「地誌備考」「備忘抄」所収の加治木氏系図および税所氏系図によると,幸光は承久の乱で上皇方につき,没落し,その跡は税所祐満が継いで,代々満家院郡司職と厚智山座主職を相伝していく。また,花尾神社所蔵の「花尾社伝紀」所載の承久3年11月16日の厚地山住僧等料田注進状案には,「茄子田」「久木田」「久保山」等の地名が見えるが,これらの地名は現在花尾神社の周辺の地区または字名として残る。鎌倉末期から南北朝期には守護で満家院地頭である島津氏が勢力をもち,島津平三郎家久は原(厚か)智城に拠り,興国3年には南朝軍に攻められ落城している(阿蘇文書)。現在城跡はわかっていないが,島津氏が崇敬した花尾権現すなわち厚地山権現付近とするのが妥当と思われる。下って戦国期の文明17年4月21日の島津忠昌宛行状によれば,「満家院東俣名厚地之村」の内の数か所計8町6反余が知行地として田代清光に与えられている(田代家文書/県史料拾遺)。その中の窪山之門や宮田,桑原田は現在,地内の小字として残る。中世では厚地は東俣名の内に入っていたと考えられる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461145
最終更新日:2009-03-01




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