ケータイ辞書JLogosロゴ 厚地村(近世)


鹿児島県>郡山町

 江戸期〜明治22年の村名。薩摩国日置【ひおき】郡郡山郷のうち。村高は明治初年897石余(郡山郷土史),「旧高旧領」では895石余。延享元年の庄屋は松山覚左衛門。花尾神社は建保6年に島津家初代忠久が生母丹後局を祀るため創建したもので,その際厚地と東俣は花尾神社とその別当寺平等王院に寄進された。同社は15代貴久により真言宗鹿児島大乗院の支配下に置かれ,当村は大乗院領となった。元禄2年神社の修理が藩により行われている(三国名勝図会)。境内には永徳4年の銘のある宝篋印塔がある。平等王院が宝永5年再興され,吉田郷佐多浦村より20石が施入された。また,この年より翌年にかけて本地院・曼荼羅院・普賢院・多聞院が再興され,各々20石が施入されている(花尾大権現廟記/三国名勝図会)。正徳2年には当村は大乗院領であることから村民の藩への公役が免ぜられ,代わりに村民は各門ごとに各種の祭礼を負担することとなる。享保13年では17門(郡山郷土史)。「県地誌」では戸数266・人口1,268,うち士族52・平民1,216,牛83・馬303,小学校1,村の中央に戸長役場があった。物産は米・粟・麦・蕎麦・甘藷・大豆などの農産物に加え,竹皮草履・炭・薪など。農商兼業5戸,手工業2戸,炭焼を業とするもの数戸,ほかはすべて農業。明治22年郡山村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461146
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ