穴湯前(中世)
鎌倉期〜南北朝期に見える地名薩摩国伊集院のうち湯穴前とも書く文永6年3月日僧慶西からその子孫「せうかう」に譲られた所領の1つとして「一所あなゆのまへ参段」と見える(山田文書/旧記雑録)その後,この地は大隅久親(道智)の娘初鶴御前の所領となり,正安2年11月3日のふちわらのうちのによ(初鶴御前)契状によって,彼女は嫁先の山田氏に当地の進止権を委譲した(同前)また,年月日未詳の大窪明賢陳状に「温穴前田地三段事」,建武4年3月日の山田忠能申状にも「温穴前田」と見える(同前)「町田祖五郎光俊譜」によれば,穴湯前と温穴前は同一で,「今石谷南岩井谷田頭有土穴,潤可十畝,俗号蛇穴,是也」とあり(旧記雑録),現在の松元町石谷の岩井谷に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461150
最終更新日:2009-03-01