ケータイ辞書JLogosロゴ 天辰(中世)


鹿児島県>川内市

 室町期から見える地名。薩摩国薩摩郡のうち。応永14年2月9日付の島津忠朝から冠岳三所権現への寄進状に「薩摩郡内天辰谷口参段事」とあり(頂峯院文書/旧記雑録),次いで同17年12月11日付の島津久世から野田郷感応寺への宛行状に「薩摩之国山門院西方之内筒田五丁并薩摩郡之内天辰別分之事」と見える(感応寺文書/旧記雑録)。この頃,総州家島津氏の拠点は天辰の碇山【いかりやま】城で,天辰はその膝下にあったが,延徳2年8月21日付の入来院重豊から子息重聡への譲状には「一所,同(薩摩郡内)天辰村」とあって(入来文書/旧記雑録),総州家島津氏の滅亡後,当地が入来院氏の支配下に入ったことが知られる。その後,「長谷場越前自記」永禄13年正月5日条に「隈之城を新納伊勢守の被請取,扨又百次・平佐・高江・宮里・天辰・碇山を入来院より進上也」と見える。この年入来院氏は島津義久の軍門に降り,当地等を義久に献上,義久はこれを許し,改めて入来院氏に所領を安堵した。しかし,「上井覚兼日記」天正2年4月条によれば,入来院重豊に野心の風聞があったため,重豊は異心なきを誓って「清色より外に四ケ名挌護申候,山田・天辰・田崎・寄田,是四ケ所拝領候,皆進上之由」を島津氏に申し入れ,ここに当地は島津氏領となった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461153
最終更新日:2009-03-01




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