ケータイ辞書JLogosロゴ 天辰村(近世)


鹿児島県>川内市

 江戸期〜明治22年の村名。薩摩郡平佐郷のうち。村高は,「御秘文雑集」では北郷宗次郎(三久)分領として737石余(天保郷帳も同じ),「旧高旧領」では672石余。安永年間の門数18(柚木崎文書/川内市史続古文書編)。庄屋には,万治2年吉松孝右衛門,享保16年大舘仁右衛門,安永5年柚木崎六兵衛,享和2年束野嘉兵衛,嘉永7年竹ノ上助右衛門などの名が見える(川内市史)。平佐村白和の今井儀右衛門が安永5年出水郷脇本に磁器窯を開いたが,まもなく挫折,これを惜しんだ北郷家家臣伊地知団右衛門は当地に窯を築き磁器生産を企業化することを領主北郷久陣に進言し,自ら肥前有田に視察に出た。有田から陶工数名を招いて,安永7年当村抜川谷に開窯し,郷士などに従事させたのが,「平佐やき」のはじまりである。かま場のある地域を皿山とも呼んだので,「皿山やき」ともいう。天草から船で運ばれた原石は水車を利用して粉砕され,これを粘土状に練り上げて胎土を造り,これに樋脇の塔之原,串木野の羽島および東郷地方に産する良質の粘土を3割程度混合し,柞【いすのき】の皮を焼いて作った灰を釉【うわぐすり】に混ぜ焼き上げた。堅牢で安価な「平佐やき」は一般にも歓迎され,北郷氏も以後保護奨励した。有田の技法をとり入れた彩画などを改良し,幕末にかけて栄え,全盛期の窯数8,製品は琉球方面にまで及んだが,明治4年廃藩置県で北郷氏の保護が絶えたのちは衰退をたどる(川内市史)。「県地誌」によれば,戸数162・人口719(士族307・平民412),牛63・馬62,荷船1,溜池2(才原池・皿山池),小学校は中央部にあり生徒数男58・女4,物産としては米・糯米・麦・粟・大豆・蕎麦・甘藷・実綿・麻・繭・生糸・製茶・葉煙草・陶器・竹皮笠・籠火鉢など。明治22年平佐村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461154
最終更新日:2009-03-01




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