ケータイ辞書JLogosロゴ 荒田荘(中世)


鹿児島県>菱刈町

 鎌倉期〜南北朝期に見える荘園名。大隅国菱刈院のうち。「吾妻鏡」の元久元年10月17日条に「大隅国正八幡宮寺訴申事……又三ケ所被補三人地頭之間,造営之功難成之由云々,仍今日,所止彼地頭職等也……荒田庄地頭山北六郎種頼」とあり,大隅正八幡宮領であった当荘の地頭が止められている。承久2年12月の検校祐清のものと思われる譲状(石清水文書1/大日古),文永11年7月の宮清処分帳(菊大路家文書/鎌遺11701)でも正八幡宮領として当荘が見える。南北朝期には文和3年8月の「上井富福丸解謝馬毛付日記」に「四所若宮政所祭馬事……荒川庄分者,依不相従神殿等,被留奉行方畢」とある(国分宮内沢氏文書/旧記雑録)。なお,応永18年8月10日の菱刈院地頭職注文には鵜羽彦三郎入道知行分のうちに「荒田原地頭分門一」と見えるが,荒田原も荒田内の集落名としてある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461166
最終更新日:2009-03-01




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