ケータイ辞書JLogosロゴ 有里村(近世)


鹿児島県>串良町

 江戸期〜明治22年の村名。大隅国肝属郡串良【くしら】郷のうち。村高は「天保郷帳」によれば2,065石余,「旧高旧領」によれば2,709石余。神社には一之宮神社,村社十五社神社がある。一之宮神社は串良院の宗廟で,もと細山田にあったものを中世に遷座。明治4年月読神社と改称した。寺院には志布志の臨済宗大慈寺末寺西台山極楽寺,瑞竜寺がある。東部は串良川流域の水田地帯で,早くから開発され,水田縁辺のシラス台地急崖下は湧水がきわめて豊富で,灌漑や生活用水に利用されてきた。寛文ごろに有里用水が開発されてからは,開田が一層進み,当郷の穀倉地帯となった。西部は,細山田に続く広大なシラス台地で,地下水が深く,水が得難かったため大部分が雑木林や原野で未開発の土地であった。しかし天明の大飢饉で,天明4年薩摩郡甑島【こしきじま】から士族47家族が移されて富ケ尾【とびがお】の集落ができたのについで辰喰【たつばみ】・西之野山・矢柄堀【やがらぼり】などの集落が次々とでき,付近一帯の開発が進んだ。これらの開発主は矢柄堀以外は郷士,矢柄堀は藩の家老の開発地である。井戸は深さ30〜50mの深井戸で,水汲みには3〜4人の共同の力を必要とした。明治22年西串良村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461172
最終更新日:2009-03-01




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