ケータイ辞書JLogosロゴ 飯牟礼(中世)


鹿児島県>伊集院町

 鎌倉期から見える地名。薩摩国伊集院のうち。建久8年の薩摩国図田帳に伊集院のうちとして「飯牟礼三町 万得」とある。下って,島津立久が定めたという戦国期の永正11年12月15日付伊集院諏訪祭礼番帳には,「四番……飯牟礼名」と見え,島津本家の支配の下で伊集院麓の諏訪神社(南方神社)の番役を負担している(伊集院由緒記/県史料拾遺)。なお,江戸期に町田俊懿が記した享保5年4月13日の野田稲富神社由緒によれば,「夫我家鼻祖先(光カ)宗者公族町田五郎太郎忠光側室之長子也,初為浮屠(僧侶)称自得,後束髪改光宗,称飯牟礼氏,光秋者光宗之子也」とあって(同前),島津一族町田氏の祖忠光の側室の長子を光宗といい,初めて飯牟礼氏を称したという。また,同書には光宗息の秋光が紀伊国から持ち帰った神体を「飯牟礼岳」に安置し,後に野田に移座して稲富大明神となったと伝えている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461194
最終更新日:2009-03-01




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