ケータイ辞書JLogosロゴ 伊敷村(中世)


鹿児島県>鹿児島市

 鎌倉期〜南北朝期に見える村名。薩摩国鹿児島郡のうち。文保元年7月晦日の薩摩国御家人交名注文に「鹿児島〈矢上又五郎左衛門尉舎弟彦五郎伊敷領主田上領主上山領主荒田庄弁済使取納使〉」とあり,当地名が見える(新田宮観樹院文書/旧記雑録)。次いで,嘉暦2年閏9月20日の鎮西下知状には当村名主四郎入道の済物抑留のことが見え(藤野氏文書/旧記雑録),正平13年4月28日の島津氏久寄進状では,「鹿児島郡伊敷村内 国引田壱町〈伊地知彦七跡〉」が諏訪社に寄進されている(安養院文書/旧記雑録)。下って,戦国期には,天文7・8年頃と思われる伊集院与左衛門申状に「喜入殿御知行も百町余之御高ニ而者,喜入,下大隅之田上,向之島,真幸之花北名,大山,辺川,鹿児島之伊敷・唐所,其外ニも懸持之知行有之候得共,先大躰如此候事」と見える(旧記雑録)。江戸期には上伊敷村・下伊敷村が存在した。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461231
最終更新日:2009-03-01




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