ケータイ辞書JLogosロゴ 一山(中世)


鹿児島県>菱刈町

 戦国期に見える地名。大隅国菱刈郡のうち。「箕輪伊賀自記」の永禄10年11月24日条に「明ル廿五日ニハ,本城・曽木・湯尾・一山ニハ薩摩ノ番兵ヲ相籠ラル」と見える(旧記雑録)。以後,「長谷場越前自記」の永禄10年12月29日条・同11年2月28日条・同11年3月23日条などに島津氏の三州統一の攻防をめぐり「一山」「一山口」「一山城」などが見える(同前)。また,「上井覚兼日記」の天正4年8月18日条には島津氏の肥後攻めの一拠点として見えている(同前)。さらに,天正8年2月付の島津氏老臣連署寄進坪付に「新寄進 小苗代薬師免 坪付 大隅国一山之内 浮免」として「都合五段卅」の田畠が小苗代薬師に寄進されている(大口小苗代薬師文書/旧記雑録)。なお,市山城(一山城・入山城)跡は下市山集落の東方台地にあり,建久年間に菱刈重妙の弟師重が領し入山彦四郎と名のったという(菱刈町郷土誌)ことからすると,入山・一山・市山は同一地域で,鎌倉・室町期には入山,戦国期には一山,近世には一山・市山と変遷したものと推定される。市山城の菱刈勢は永禄10年に近くの馬越城が陥落すると大口城に撤退し,島津勢の市来備前・伊集院刑部・平田加賀などが入城したという(同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461277
最終更新日:2009-03-01




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