ケータイ辞書JLogosロゴ 一湊村(近世)


鹿児島県>上屋久町

 江戸期〜明治22年の村名。大隅国馭謨【ごむ】郡屋久島のうち。「薩藩政要録」によれば宮之浦村の小村,「三国名勝図会」では吉田村の属村に見える。村高は42石余(旧高旧領)。村の南西部白川山【しらこやま】で中小の流れを集めた一湊川は,村落の西北で二つに分かれて川の中島にある村落を抱き,再び村落の南東の端で合流して海に流れこんでいた。島内の各港はすべて河港であったがここだけは海港で,琉球諸島往来の船も時に停泊した。島内の諸村は山林を所有したが,当村だけは山林がほとんどなく漁業を生業とした(三国名勝図会)。船改所があって,海上の見張り・船舶の出入を厳重に監視した(屋久町誌)。近くに鰹・飛魚の好漁場があり,飛魚は3〜4月の頃多く取れ,乾して梅雨の頃鹿児島に売り出した(地理纂考)。寺院は法華宗本隆寺で京都本能寺・摂津尼ケ崎本興寺の末寺。物産は盆石・鰹・鰹塩干・飛魚(三国名勝図会)。明治11年設置された小学校は,同19年尋常小学校となる(県熊毛郡郡治要覧)。同22年上屋久村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461280
最終更新日:2009-03-01




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