ケータイ辞書JLogosロゴ 岩川郷(近代)


鹿児島県>大隅町

 明治2〜22年の郷名。曽於【そお】郡のうち。もとは末吉郷の一部。五拾町・中之内の2か村から成る。江戸期,当地域は末吉郷に属し,伊勢氏の持切在であった。戊辰の役の際伊勢家家臣団が私領五番隊として活躍した功により,明治2年9月25日岩川郷の独立を認められた。馬場・中之薗・森園一帯に麓を設置し,現在の岩川小学校の地に仮屋を置いた。同4年末吉・岩川両郷の境界を改定して,当郷の池山・大園を末吉郷へ,市吉・川床・蕨谷を当郷に編入した。伊勢家の家臣が各地伊勢領(鹿児島・谷山・帖佐・志布志・田之浦・国分)から当郷に移住して来て常備隊を編成した。明治4年鹿児島県,都城県を経て,再び鹿児島県に所属。「地理纂考」によると周回5里32町余,高3,858石余。戸数717,人数3,942,うち士族1,668・卒154・平民2,120。明治14年「姶良桑原囎唹郡役所管内一覧」によると戸数926,うち士族373・平民553,人口4,137,うち士族1,711・平民2,426。戸長役場は五十町村上馬場に設置。公立小学校の生徒数386,うち岩川199・菅牟田58・梶ケ野55・木場74。全戸数のうち農業・牧畜が主体で,物産は米・麦のほか柴胡・茯苓・金銀花の薬草,榧・・樟の樹木,梶ケ野牧の馬など。明治5年志布志郡治所,同12年には姶良【あいら】郡加治木郡役所管轄となる。同20年東曽於郡に所属,東曽於郡岩川郡役所管轄となる。同22年岩川郷2か村は岩川村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461335
最終更新日:2009-03-01




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