ケータイ辞書JLogosロゴ 岩剣城(中世)


鹿児島県>姶良町

戦国期に見える城名大隅国のうち岩劔とも書く薩摩との国境にある天文年間に渋谷氏の一族祁答院良重が当城にあった天文23年に島津貴久が当城を攻撃しているこれは,蒲生範清が渋谷一族や菱刈・相良氏などとともに島津氏と友好関係にあった肝付兼盛を加治木城に攻めたためで,貴久は当城の祁答院良重を襲えば加治木城を包囲した肝付軍が救援にかけつけると考え,そこを背後から肝付軍が攻撃する計画を立てた(日本城郭大系)島津軍の当城への攻撃は9月12日に開始された「岩劔合戦日記」や貴久公譜・義弘公譜などによってその詳細が知られる(旧記雑録)容易には落城せず,両軍の激しい攻防戦がくりひろげられたが,10月2日の島津軍の攻撃で良重の子の又二郎重経や蒲生氏の一族の西俣武蔵守盛家らが戦死した翌3日に落城また加治木城の包囲も解かれたこの攻防戦で注目されるのは,「岩劔合戦日記」の9月14日条に「典厩様御船五艘にて陸ちかく被押寄,鉄炮を以敵二三人被射伏」とあるように,鉄砲が使用された点であるこの島津忠将による鉄砲の使用は実戦での最初の使用といわれているその後,島津義弘が当城に入ったが,間もなく新たに築いた山麓の平松城に移った(日本城郭大系)城址は姶良町重富の脇本にあり,郭・空堀・土塁などの跡が認められる白銀山の尾根の末端が剣状の形をしており,要害の地に築かれた山城である
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461343
最終更新日:2009-03-01




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