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- 上原(中世)とは
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上原(中世) 戦国期に見える地名豊後国大分郡荏隈【えのくま】郷のうち現在の大分市上野丘東・上野丘西・上野丘1~2丁目一帯の台地永禄6年,大友宗麟は海部【あまべ】郡臼杵(臼杵市)に丹生島城を構築し,上原館から移ったと見えるのが初見(大友家文書録/大友史料21)「大友家文書録」によると,大友家は代々府内に館を構えていたが,高崎山に築城し,不慮の護りとしていた義鎮(宗麟)の代に至り,館を上原に遷し,永禄6年丹生島城移転後は,嫡男長寿丸(義統)を上原館に置いたというまた,天正6年3月,日向土持征伐のため結集した大友勢が,13日上原館を出発して日向に向かったと述べる(大友家文書録/大友史料24)このように,江戸期に編纂された「大友家文書録」などにだけ「上原館」という字句が見え,史料上では確認できないなお宗麟の時代,館を上原に遷したということも,3代頼泰以来高国府【たかごう】を領有していた事実(志賀文書/大友史料2)から見て検討を要する |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
上原(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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