ケータイ辞書JLogosロゴ 内之浦村(近代)


鹿児島県>内之浦町

 明治22年〜昭和7年の肝属郡の自治体名。北方村・南方村・岸良村の3か村が合併して成立。旧村名を継承した3大字を編成。村制実施後,村の行政機関の整備とともに,明治22年に岸良小林区署(明治41年内之浦小林区署と改められる),同27年鹿屋区裁判所内之浦出張所が開設された。同31年波見〜内之浦間の県道が開通,同35年から内之浦局が電信事務を取扱い,昭和5年には岸良局も開設された。明治5年内之浦小学校の前身である欽明館が開校,同11年には岸良小学校が開校して,同34年船間,同35年津代,同37年大浦,同42年宮原の各分教場も開校した。明治18年に近江国から移転した浄土真宗本願寺派円通寺は同42年火災のため焼失したが,大正2年再建された。明治39年には同宗同派の岸良説教場ができ,続いて西岸寺として同44年本堂を建築した。当村はソテツ・ヘゴの自生北限地帯の1つであり,大正12年ソテツ,同15年ヘゴが天然記念物の指定を受けた。昭和4年7月長期にわたる降雨のために津代の半島部が山崩れを起こし,死者14名,負傷者26名を出し,田畑・宅地・建物などにも甚大な被害があり,津代集落民の大部分が他集落に移住した。昭和7年町制施行。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461379
最終更新日:2009-03-01




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