ケータイ辞書JLogosロゴ 内之倉村(近世)


鹿児島県>志布志町

 江戸期〜明治22年の村名。日向国諸県【もろがた】郡志布志郷のうち。村内17門の組織をもつ純農村。宝暦11年家内100・男女555人,石高714石余(志布志肝付文書),天保5年高1,164石余(天保郷帳),「旧高旧領」では998石余。東部山岳で秋月藩と境を接するため,八郎ケ野に辺路番所がおかれたほか,間道の通る昆砂ケ野・新地・宮之前・馬庭・姥ケ谷・大川内にも辺路番所がそれぞれ置かれていた。「日向地誌」によれば,戸数268(士族58・平民205・寄留4・社1),人口1,186(士族245・平民941),牛318・馬542。明治7年仮屋に20番小学校,八野に21番小学校が開かれ,同8年にはそれぞれ森山小学校・八野小学校と改称。同11年字懐に四浦小学校が,同25年潤ケ野に潤ケ野小学校が開かれている。明治22年志布志村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461382
最終更新日:2009-03-01




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