ケータイ辞書JLogosロゴ 内野々村(中世)


鹿児島県>高尾野町

南北朝期に見える村名薩摩国山門【やまと】院のうち元弘3年8月29日,後醍醐天皇綸旨をもって針原孫次郎久兼の当知行地が安堵されているが,この頃のものか,年月日未詳の久兼私領注文に「よこミねの村」「はりわらの村」などとともに「一所 うちのゝ」と見える次いで建武2年7月6日付の本田兼阿宛島津貞久大番役請取状に「薩摩国役所〈二条万里小路南頬〉大番事,自今年三月一日至同七月一日,山門院内針原・横峯・内野分,所被勤仕也」とあるその後,文和3年11月15日,兼阿は嫡子かな太郎に「兼阿かあとの所々ほんりやうならひにちうたいのよろい・たち・かたな」を譲ったが,その譲状には「さつまのくにやまとのゐんの内,はりハらのみやうてん・よこミねのむら・うちのゝむら・たかハらまち・ひさきた」が見え,これらの所領は明徳3年12月13日には兼久から嫡子かなとう丸に譲られている(入来本田氏文書/旧記雑録)高尾野町下高尾野地内,野田川を挾んで野田町と対する水田地帯に内野々の集落がある
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461384
最終更新日:2009-03-01




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