ケータイ辞書JLogosロゴ 老松荘(中世)


鹿児島県>出水市

鎌倉期〜室町期に見える荘園名薩摩国山門【やまと】院のうち建久8年の薩摩国図田帳に「山門院二百町内老松庄二十四町四段 安楽寺 公領百七十五町六段 地頭右衛門兵衛尉」とあるのが初見老松荘は大宰府天満宮の別当寺たる安楽寺領で,当時薩摩国内にあった安楽寺領154町4反のうちである場所は出水【いずみ】市荘地域であり,現在も荘【しよう】と呼んでいる老松荘は鎌倉期には既に安楽寺領を離れ,島津氏被官本田氏の支配下に入ったらしい以後老松荘(その一部か)は菓成河【みなりかわ】の名でよばれ,本田氏関係の相伝所領になっている室町期に入ると,島津氏では総州家と奥州家の抗争が起こるが,薩摩国を領した総州家の久世は,大隅国を領する奥州家の久豊らと戦い,互いに付近の在地領主を味方に引き入れ,恩賞を与えた応永21年9月16日付の渋谷氏への島津久世宛行状に「薩摩国薩摩郡於時吉名内八十町,此内串木野入一曲・同国河辺郡七島之内嶋一・伊集院内三十町・山門院内老松庄菓成河村塩屋一之事,右為䉼所々進置也,早可有知行,仍之状如件」とあり,老松荘の一部が恩賞に当てられている(渋谷恕兵衛重増文書/旧記雑録)なお菓成河村は現在の荘小・中学校のあたりに比定される
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461419
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ