ケータイ辞書JLogosロゴ 網津(中世)


鹿児島県>川内市

 南北朝期から見える地名。薩摩国高城【たかき】郡のうち。永和4年12月19日付の真宗から釈迦王への譲状に「網津内井尻壱町」とある(大口高城氏文書/旧記雑録)。真宗とは当時高城地頭であった渋谷高城氏である。次いで,16世紀初頭の11月2日付の島津忠治から入来院重聡への書状に「就祁答院重貴,網津,京泊知行」とある(入来文書)。祁答院重貴は文明17年頃から川内地方に進出しており,その間の事情を物語るものである。その後,高城・水引(網津を含めて)は東郷渋谷氏の領有に帰したが,元亀元年渋谷東郷・入来院両家の島津氏への降伏により,その時点で島津守護家の領となり,島津宗家はこれを薩州家島津氏に与えている。後,朝鮮の役で薩州家島津義辰は豊臣秀吉の怒りにふれ所領を没収されたが,慶長4年島津宗家の朝鮮の役での功により,再び島津家領となり,その時の知行目録に「六百十八石七斗二合 網津」とある(島津家文書3/大日古)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461420
最終更新日:2009-03-01




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