ケータイ辞書JLogosロゴ 大姶良村(近世)


鹿児島県>鹿屋市

 江戸期〜明治22年の村名。大隅国肝属郡大姶良郷のうち。大始良とも書く。村高は,「天保郷帳」では674石余,「旧高旧領」では939石余。「三国名勝図会」には「大姶良村獅子目」の名が見える。村内に大姶良郷の麓があったので麓村とも記されている。麓は慶長年間以後阿多・志布志方面から移住した郷士を中心に,村内の城内・平岡・東・向馬場・大宮田に形成された。地内に残る大姶良13城といわれる中世以来の城址群には,島津6代大守氏久が正平年間から長く居城し,大隅経営の橋頭堡としていた。向馬場にあった臨済宗竜翔寺は大姶良城主楡井頼仲に招かれた玉山が開山し,のちに志布志大慈寺の末寺となった。頼仲の後に入った氏久も当寺に帰依し,3世渓月は娘といわれ,境内には氏久夫婦・娯娘の三基が残る。大宮田にある八幡神社は貞治3年氏久の子元久誕生のおりに創建。真言宗照山寺は本府大乗院の末で当邑の祈願所であった(三国名勝図会)が,文政7年に焼失したという。郷社の岩戸神社は向馬場の上の宮下にあり,古くは御在所山の巨巌を神体とし,岩戸宮と言われ,「土人痘瘡のため参詣する」とある(三国名勝図会)。なお大正10年の「大姶良村是」によれば,村高659石余,門数21,用夫78。明治22年大姶良村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461427
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ