ケータイ辞書JLogosロゴ 大分郷(古代)


鹿児島県>姶良町

平安期に見える郷名「和名抄」の大隅国桑原郡八郷の1つ「続日本紀」和銅7年3月壬寅(15日)条の「隼人昏荒野心,未習憲法,因移豊前国民二百戸,令相勧導也」なる記事に見える豊前国からの移民の居住地の1つといわれる(県史)比定地については現在の蒲生町に残る北,姶良【あいら】町に残る北山などの地名を大分【おおきた】の遺称地とし,この付近に当てる説がある(日本地理志料)また,姶良町船津の宮田ケ丘に大隅国分寺の瓦を製作したとみられる古代瓦窯跡があるが,古代隼人の地での瓦工の技術は先進地技術の導入が必要であり,そのために豊後国大分郡から当地に瓦工の移民が行われ,大分郷の地名がつけられたとも考えられる以上のように考えれば,当郷は現在の姶良町域に比定されよう当郷名を「おおぶ」と訓んで大府すなわち大隅国府所在地とする見方もあるが,「和名抄」で「分」を「ぶ」と訓む例は若狭国大飯郡佐分郷のみであり,特に九州では豊後国大分郡・肥後国彼杵郡新分駅などの用例はすべて「いた」と訓むので,「おおいた」もしくは「おおきた」などの訓みが妥当であろう
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461432
最終更新日:2009-03-01




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