大浦(中世)
南北朝期から見える地名。薩摩国加世田別符のうち。永和元年10月1日付の加世田別符半分坪付注文に「一おうらはんふん」と見え,明徳4年11月27日付の坪付注文にも同様に見える。次いで応永11年4月5日付の島津久哲安堵状によれば,伊作氏が「加世田別符之内大浦村」の知行を確認されている(伊作譜/旧記雑録)。下って,天文23年2月2日付島津日新寄進状に「薩州加世田庄内之事 合大浦名 長田之門」とあり,保泉寺に寄進されている(日新寺文書/同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461434
最終更新日:2009-03-01