ケータイ辞書JLogosロゴ 大河(中世)


鹿児島県>阿久根市

 鎌倉期から見える地名。薩摩国高城郡のうち。建久8年の薩摩国図田帳に島津荘寄郡高城郡255町の1所として「大河三町五段〈嶋津同御庄論〉万徳」と見える。次いで南北朝期の永和4年12月19日付で真宗が子釈迦王に与えた譲状に「薩摩国高城のこほり大河村〈一曲〉・河宿〈一曲〉・富満〈一曲〉・船津田壱町〈子兼ほんきう〉・吉枝前田五段・網津内井尻壱町・ハしさき一丁・円海房屋敷〈小三郎本給〉・中郷内五郎か屋敷一宇」とある(大口高城氏文書/旧記雑録)。大河は今の大川であり,当時は高城郡に属していた。戦国期にはこの地は薩州家島津義虎と東郷渋谷氏との争奪の地となったが,戦国末期の元亀元年,東郷氏等渋谷一族が島津義久に降るとともに,大河はじめ高城・水引は薩州家領となった。大川城跡には当時をしのぶ石塔群が,深迫には千人塚が残る(阿久根市誌)。松岡神社は別名を九頭殿【くとうどん】と呼び,薩州家義虎の重臣長寿寺の僧雪渓をはじめ武将9人を祀る。またこの展望所松岡神社には中世初期,諸国行脚の一遍上人が手植えした遊行松があった(三国名勝図会)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461439
最終更新日:2009-03-01




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