ケータイ辞書JLogosロゴ 大口(中世)


鹿児島県>大口市

 戦国期に見える地名。薩摩国のうち。牛屎院の地域が牛山院となり,さらに大口に改称されたとみられる。「八代日記」の弘治2年7月3日条に「相州(島津忠良)ヨリ八代御使僧,大口ヲ当家ニ被遣候すると云コト」とあるのが初期の所見であるが,「両院古雑徴」には明応8年島津忠明が梅北より大口に移され,相良・菱刈方に備えて居城とし大口殿と号したとあり,「日新菩薩記」には永禄10年菱刈隆秋が島津氏に反したため,島津忠良(日新)が祈祷しその効により敵軍を撃破して一統の御世にして牛山を大口に改めたともいう(大口市郷土誌)。しかし,一般的に大口の地名が使われだしたのは永禄10年11月24日条の「箕輪伊賀自記」および同11年正月20日条の「長谷場越前自記」などからであり(旧記雑録),島津氏の三州統一の過程における菱刈軍との攻防がくり返されていた頃である。したがって新納忠元が大口地頭になった永禄12年前後より大口の地名が使われだしたとみてよいであろう。以後,天正年間の「長谷場越前自記」「箕輪伊賀覚書」「上井覚兼日記」「日州高城耳川合戦日記」「日州御発足日々記」「大友御合戦御日帳写」などに散見する。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461444
最終更新日:2009-03-01




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