ケータイ辞書JLogosロゴ 大禰寝院(中世)


鹿児島県>大根占町

 南北朝期〜戦国期に見える院名。大隅国禰寝院のうち。禰寝院南俣を小禰寝院と称するのに対して禰寝院北俣をいう。建久8年の大隅国図田帳に島津荘寄郡のうちとして「禰寝北俣四十丁五段三(四)丈」とあるが,建武2年10月7日付の大宰府宛太政官符には「応令貞久法師領知,中宮職領管大隅国寄郡内下大隅郡大禰寝院」等とあり(藤野氏文書/旧記雑録),観応2年8月15日付の足利尊氏下文で同地が島津貞久に勲功賞として宛行われている(伊地知氏文書/旧記雑録)。院号の初見はこの建武2年太政官符だが,大禰寝の地名初見ははるかに早く,治暦5年正月29日付藤原頼光所領配分帳案に頼経宛給分として「禰寝院内参村,大禰寝,浜田,大姶良」とある(禰寝文書)。当院の範囲については,文永4年3月5日付の「禰寝院 村々置役事」と題した沙弥道意置文に郡本(鳥浜・神河)・浜田・大姶良・志々目・横山の5村が見え(志々目家文書),元亨3年4月21日には藤原時義が「禰寝殿子息亀寿殿」を養子として「禰寝院北俣 郡本,鳥浜,神河,浜田,大姶良,志々目,横山地頭職」を譲っている(禰寝文書)。天授3年11月21日付の禰寝院見作田畠目録注進状案によれば,大禰寝院の同年の見作田畠数は郡本村17町9反3丈・鳥浜神河1町1反3丈・浜田村7町3反3丈・大姶良村6町7反2丈・志々目村9町7反・横山村7町5反1丈の計50町4反2丈であった(同前)。このうち郡本・鳥浜・神河は現在の大根占町域であり,残余の諸村は鹿屋【かのや】市の南部にあたる。江戸期には大根占町域諸村が大根占郷と称され,鹿屋市南部の諸村は大姶良郷と称された。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461488
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ