ケータイ辞書JLogosロゴ 大野田(中世)


鹿児島県>入来町

南北朝期から見える地名薩摩国入来【いりき】院のうち元弘元年9月11日の渋谷重基譲状案によれば,重基(定円)が松寿丸(重宗)に譲った清色北方の所領の四至として「西限・大野田とつはきゑのさかい口」が見える(入来文書)下って,長享〜延徳年間頃の作成と推定される算田日記には,上大野田門と下大野田門の両門がある(同前)両門は,小豆迫の鎮守神田を耕作し,入来院地頭の重臣家の門付給地とされていたことなどから推定して,当地の大野田氏は古代以来の小豆の神と関係が深かったとみられるおそらく鎮守神の司祭権の奉上と引き換えに,大野田氏は改姓,下級士分に昇格し,それに伴い大野田門も消滅したものであろう江戸期に入るとこの地名は消失する入来町浦之名のうち,ほぼ中央に当たる丘陵地たる小豆迫の北西部,字三斗五升蒔の地に比定されている
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461495
最終更新日:2009-03-01




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