ケータイ辞書JLogosロゴ 大村城(中世)


鹿児島県>祁答院町

戦国期に見える城名薩摩国祁答【けどう】院のうち弦掛城,後に永福城ともいったという祁答院町下手大村の字城ノ下・陣内に城址が残る山上にある本丸の北側は断崖絶壁,南面は堀切が長く延び,奥は二重堀切になっている外側は階段状地形が続いている本丸の東には自然浸食谷を隔てて3か所に郭が残る郡内宮之城の虎居城につぐ要害である平安末期には祁谷院大前道房が大村城にあったというが,鎌倉期渋谷氏が祁答院に入部してからは,祁答院渋谷氏の管理下にあったと考えるが,文明17年9月,祁答院重度は島津忠昌に背いて当城を攻められているが,これを撃退している「文明記」はその時の様子を「翌十三日,両所之軍勢共為一所,懸野伏於大村城,其間構陣,同十四日,自大村城裏敵勢二百有余令発出」と述べている
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461503
最終更新日:2009-03-01




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