ケータイ辞書JLogosロゴ 尾下村(近世)


鹿児島県>金峰町

 江戸期〜明治22年の村名。薩摩国阿多郡田布施郷のうち。尾下麓の亀ケ城跡の西方に地頭仮屋が置かれ,郷の行政の中心であった。村高は,寛文4年1,749石余(郡村高辻帳)。享保7年2,107石余(金峰町郷土史),安永7年2,199石余(御治世要覧),「天保郷帳」では1,749石余,慶応4年には2,061石余(金峰町郷土史),「旧高旧領」では2,203石余。慶応4年の百姓戸数219・人数1,370,用夫443(金峰町郷土史)。相州島津氏の亀ケ城跡がある。社寺には多夫施神社(勝手大明神)・金峰山蔵王権現社,金峰山観音寺金蔵院(坊津の真言宗一乗院の末寺,高120石)がある。明治17年大阪村を分村。明治5年に外城第24郷校が尾下麓正春庵の廃寺跡に開校して,同9年多夫施小学校と改称。明治11年,郷内の各村に小学校が開設されて,平民の子弟も就学できるようになった。平民との同席に抵抗する士族は,士族の子弟だけが入学する学校「愛人学校」を設立したが,2年ほどで廃校となった(金峰町郷土史)。明治17年の多夫施小学校は生徒数223(男子197・女子26)。「県地誌」によれば,田畑349町歩余,戸数744(士族156・平民550・寄留5・神社3),人口3,374(士族825・平民2,549)。農業を主とし,兼業のものは商業12戸,牛318・馬233。明治22年田布施村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461525
最終更新日:2009-03-01




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