ケータイ辞書JLogosロゴ 小原別符(中世)


鹿児島県>串良町

 鎌倉期〜室町期に見える別符名。大隅国のうち。小原別府とも書き,小原荘とも称した。建仁3年11月10日の島津荘政所下文に「小原別府弁済使得分米同可令運上事」とあるのが初見。島津荘の前地頭島津忠久の押領した弁済使職の1つとして見え,義広の沙汰として弁済使職の得分米を京上すべきことを命じられている(栗野士神田橋氏文書/旧記雑録)。翌建仁4年正月18日にも同内容の島津荘政所下文が出されている(同前)。南北朝期には,建武2年10月7日の太政官符に中宮職領の大隅国寄郡内の1つとして見え,島津貞久が預所に補せられている(藤野氏文書/旧記雑録)。また,正平4年3月10日の楡井頼仲寄進状では当別符の「半分地頭職」が造営料所として,観応2年11月19日の足利直義寄進状では「串良院内小原別府」が天下安全祈祷料所として,大慈寺にそれぞれ寄進されている(志布志大慈寺文書/県史料拾遺)。当別符には姶良荘の在地領主得丸氏も関係し,正平14年11月15日には「大隅国小原別符西方地頭分柏原東方〈原田将監跡〉」が得丸左近将監に(氏久公御譜/旧記雑録),応永19年12月5日には「大隅国小原村内十町」が得丸氏に宛行われている(久豊公御譜/旧記雑録)。室町期に小原村と称されていたことがわかる。串良【くしら】町上小原・下小原・岡崎の付近に比定される。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7461556
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ